第三水俣病

熊本大学が熊本県の委託をうけて、昭和46、47年の2年間にわたって調査し、第二次水俣病研究班が水俣地区に対する比較対照として選んだ有明海沿岸の有明町にも水俣病の症状を呈する患者が8名住んでいることを発見しました。この報告書は、第三、第四の水俣病が起る可能性があることが分かって全国に衝撃を与えました。さらにこれを相次いで、大牟田市に水俣病症状を示す患者の存在、のちに九大が否定、徳山湾をはじめとする、全国の苛性ソーダ、塩化ビニール工場で使用した水銀が大量に行方不明になっていることや、水産庁が調査したPCB汚染の結果から敦賀湾と大分沿岸にそれぞれ130、110ppmと世界最高値が発見されたことなどが分かり、全国の沿岸漁業と消費者を恐慌におとし入れました。厚生省は慌てて水銀の食品中暫定基準を改訂しましたが、その発表にさらに不手際があり、混乱に拍車をかける結果となってしまい、各地で汚染源と目される工場を漁民が封鎖するなど、事態はさらに深刻になりました。厚生省の発表した改定暫定基準もを多食し米からも水銀が入る日本の特性を考慮したものではなく、その場しのぎの感が強く、さらにPCB汚染にいたっては、水録よりも普遍的に存在するために魚の売れゆきは激滅し沿岸漁業は当分立直れないだろうと推測されていました。

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