四大公害裁判

四大公害とは、四日市ぜんそく、イタイイタイ病、新潟水俣病、熊本水俣病の4つを指して言います。このうち新潟水俣病訴訟は昭和46年9月29日、富山イタイイタイ病訴訟は46年6月30日(第一次)同8月9日(第二次)、四日市訴訟は47年7月24日、熊本水俣病訴訟は47年10月に結審し、48年それぞれ原告側の勝訴が確定しました。これらの判決の中でも、四日市新訟とイタイイタイ病訴訟の判決は、公害裁判史上画期的なもので、その後の訴訟に与える影響は少なくはありませんでした。その特色は、四日市訴訟は、他の2つがカドミウム、有機水銀の水質汚染による特異性疾患を争ったのに対して、全国の大都市、工業地帯で起きている大気汚染と呼吸器疾患を間題とした点に特色があります。特にぜんそくが特異性疾恵と異なり、他に様々な原因の考えられる病気であることと、大気が水に比べ拡散、流動しやすく、到達経路がつかみにくいことなど立証の難しく、四日市訴訟を、あくまで被害者救済の立場から因果関係に厳密な立証は不要とし、被告の共同不法行為を認めたことは、集合公害救済への道を開くものとして大きな意義を持っていました。イタイイタイ病訴訟では、カドミウムとの因果関係の認定が注目されていましたが、名古屋高裁金沢支部は、一審判決で公害訴訟のあり方に対して、新しいぺ−ジを開くものとして評価された疫学的方法を支持することによって、厳密な科学的証明がないかぎり、因果開係は認められないとする企業側の主張をしりぞけました。これは裁判が科学論争の泥沼に陥ることを避け、被害者の早揮救済を図ることを優先したものであり、特に高裁段階での確定判決だけに、その意義は一層大きく、公害被害の損害額についても、患者側が控訴審で倍増した請求額を、はかり知れない精神的苦痛に対しては差がつけられないとして、請求額を全面認容しました。これは公害被害の特質を理解し、損害請求の方法において被害者救済の道を広げたもので、今後の公害裁判への影響も大きいものがありました。新潟水俣病判決では、被害者側が加害者の門前まで因果関係を実証したときは、それを十分に否定するに足る反証がないかぎり事件の因果関係は成立するという判断が示されました。
熊本水俣病訴訟の判決では、前記三判決の線に沿い、更に工場排水を工場外へ放出するには事前にその安全の確認が必要であり、それを怠ったチッソに過失責任があるとして、水俣病の企業責任は過去において一度も公的には認められなかったもので、この一点を認めさせるための道は長く、しかも損害請求額の全面認容は得られませんでした。4つの事件ではいずれも判決を足ががりとした彼害者の直接交渉によって若干の条件が改善されました。

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